台灣周遊唱歌

台灣周遊唱歌について

この曲は、明治43年(1910年)2月20日に發表された台灣の唱歌です。

台灣の地理や名產に關する內容を豐富に盛り込んだ歌詞が特長であり、歌詞のは何と90番にも渡ります。

作曲は宇井英、作詞は高橋二三四に依る物で、和歌の七五調に合わせられた曲調が魅力です。

當時、台灣を統治していた台灣總督府の視點から作られた物である爲、歌詞の內容は所々に原住民への蔑視や帝國主義への翼賛が見られるものの、

現代に於いてもこれ程詳しく台灣の地理風土を唱歌の形で解說した物は他に無く、當時の台灣統治の狀況をも伺い知れる大變貴重な資料となっています。

ここではこの名曲を、出來る限り精査した上で解說して行こうと思います。

台灣周遊唱歌

作曲: 宇井英 作詞:高橋二三四

1.

國光四海に輝きて、東亞の空に霸を成せる

こっこうしかいにかがやきて、とうあのそらにはをなせる

我が日の本の新領土、臺灣島を探見む

わがひのもとのしんりょうど、たいわんとうをさぐりみん

2.

南北長さ一百里、巡りは二百九十餘里

なんぼくながさいっぴゃくり、めぐりはにひゃくくじゅうより

小島合せて其の廣さ、九州島と略等し

こじまあわせてそのひろさ、きゅうしゅうとうとほぼひとし

3.

山に金銀海に鹽、製茶・製糖・果實類

やまにきんぎんうみにしお、せいちゃ・せいとう・かじつるい

水田に稻は二度實る、實に帝國の無儘藏

みずたにいねはにどみのる、げにていこくのむじんぞう

4.

基隆港の朝朗け、登る朝日の照添ひて

きいるんこうのあさぼらけ、のぼるあさひのてりそいて

輝渡る其の眺め、福爾摩沙の名も徒ならず

かがやきわたるそのながめ、フォルモサのなもただならず

5.

最北門の鎖鑰にて、母國に渡る唯一の

さいほくもんのさやくにて、ぼこくにわたるゆういつの

要津なれば朝夕に、出船入船絕間無し

ようしんなればちょうせきに、でふねいりふねたえまなし

6.

いざや西部を巡らむと、汽笛一聲進行く

いざやせいぶをめぐらんと、きてきいっせいすすみゆく

八堵・七堵の次は五堵、水返腳の小市街

はっと・しちとのつぎはごと、すいへんきゃくのしょうしがい

7.

附近の山に石炭の、多く出るを語りつつ

ふきんのやまにせきたんの、おおくいづるをかたりつつ

南港・錫口忽ちに、早臺北に著きにけり

なんこう・しゃっこうたちまちに、はやたいほくにつきにけり

8.

四面は山に圍まれて、地勢京都に然も似たり

しめんはやまにかこまれて、ちせいきょうとにさもにたり

自ずから成る城壁は、實に萬世の固めなり

おのずからなるじょうへきは、げにばんせいのかためなり

9.

君が御稜威に高砂の、浦回の風も收りて

きみがみいつにたかさごの、うらわのかぜもおさまりて

此處に開けし總督府、文武の機關備れり

ここにひらけしそうとくふ、ぶんぶのきかんそなわれり

10.

市街の規模は宏大に、道路平坦砥の如く

しがいのきぼはこうだいに、どうろへいたんとのごとく

下水工事に至る迄、水も漏さぬ巧なり

げすいこうじにいたるまで、みずももらさぬたくみなり

11.

幾百年後の膨張を、予て測りて定めたる

いくひゃくねんごのぼうちょうを、かねてはかりてさだめたる

市區改正の雄々しさよ、想遣るだに賴しや

しくかいせいのおおしさよ、おもいやるだにたのもしや

12.

支線に乘りて圓山の、臺灣神社を拝みつつ

しせんにのりてまるやまの、たいわんじんじゃをおがみつつ

基隆川を打渡り、昔を偲ぶ劍潭寺

きいるんがわをうちわたり、むかしをしのぶけんたんじ

13.

夙に學者の淵藪と、稱へられたる士林には

つとにがくしゃのえんそうと、たたえられたるしりんには

遭難六氏の碑石在り、芝山嚴頭香を留む

そうなんろくしのひせきあり、しざんがんとうかをとどむ

14.

硫黃を出す北投は、音に聞ゆる溫泉場

いおうをいだすほくとうは、おとにきこゆるおんせんば

湯浴みする人遊ぶ人、常に絕へずと聞くぞかし

ゆあみするひとあそぶひと、つねにたえずときくぞかし

15.

左に高きは大屯山、右に低きは紗帽山

ひだりにたかきはだいとんざん、みぎにひくきはしゃぼうざん

群がる山の其の奧に、秀でて見る七星山

むらがるやまのそのおくに、ひいでてみゆるしちせいざん

16.

江頭過ぎて川岸に、沿ひつつ行けば淡水港

かんとうすぎてかわぎしに、そいつつゆけばたんすいこう

河畔の丘に嚴しき、建物多く聳えたり

かはんのおかにいかめしき、たてものおおくそびえたり

17.

屋上高く翻る、同盟國の旗印

おくじょうたかくひるがえる、どうめいこくのはたじるし

問はぬ先にも知れたり、大英國の領事館

とわぬさきにもしられたり、だいえいこくのりょうじかん

18.

三百年の其の昔、萬里の波を凌ぎ來て

さんびゃくねんのそのむかし、ばんりのなみをしのぎきて

武威を振ひし西班牙、聖地亞哥城此處に建つ

ぶいをふるいしイスパニヤ、サンチャゴじょうここにたつ

19.

後に阿蘭陀來てりしが、鄭氏代りて之に據る

のちにオランダきてりしが、ていしかわりてこれによる

榮枯は移る世の習ひ、英雄の蹟今何處

えいこはうつるよのならい、えいゆうのあといまいずこ

20.

樓に登りて見渡せば、舳艫連ねて打集う

ろうにのぼりてみわたせば、じくろつらねてうちつどう

唐船の數知らず、觀音山下畫の如し

もろこしぶねのかずしらず、かんのんさんかえのごとし

21.

此處の港を船出して、海路僅かに二百餘里

ここのみなとをふなでして、かいろわずかににひゃくより

其の日の中に對岸の、廈門の港に著るべし

そのひのなかにたいがんの、あもいのみなとにつかるべし

22.

再び歸りて本線に、移れば忽ち艋舺驛

ふたたびかえりてほんせんに、うつればたちまちまんかえき

新店川の鐵橋も、瞬く隙に打渡る

しんてんがわのてっきょうも、またたくひまにうちわたる

23.

富豪林氏の邸宅の、甍連ねて構へたる

ふごうりんしのていたくの、いらかつらねてかまえたる

板橋越れば樹林なり、山仔腳經て鶯歌石

ばんきょうこゆればじゅりんなり、さんしきゃくへておうかせき

24.

鳥の形に良く似たる、巨石は立てり山腹に

とりのかたちによくにたる、きょせきはたてりさんぷくに

鄭軍砲を撃ちし時、頭缺けぬと言ひ傳ふ

ていぐんほうをうちしとき、かしらかけぬといいつとう

25.

三角湧は此の奧へ、一里餘の小市街

さんかくゆうはこのおくへ、いちりあまりのしょうしがい

製腦事業見む人は、更に山路を辿るべし

せいのうじゅぎょうみんひとは、さらにやまじをたどるべし

26.

春桃園の樂鄉に、遊ぶも嬉し秋は亦

はるとうえんのらくきょうに、あそぶもうれしあきはまた

大嵙崁なる山奧に、奇巖を見るも面白し

だいこかんなるやまおくに、きがんをみるもおもしろし

27.

蕃界近く踏入れば、兩岸險しき谷川に

ばんかいちかくふみいれば、りょうがんけわしきたにがわに

藤にて造れる吊橋の、危く架る所在り

とうにてつくれるつりばしの、あやうくかかるところあり

28.

北部諸山の生蕃を、防ぐ爲とて要所には

ほくぶしょざんのせいばんを、ふせぐためとてようしょには

鐵條網を張渡し、隘勇線を設けたり

てつじょうもうをはりわたし、あいゆうせんをもうけたり

29.

崁子腳をば後にして、中壢街を過行けば

かんしきゃくをばあとにして、ちゅうれきがいをすぎゆけば

四面の畑は皆茶の樹、安平鎮の製茶場

しめんのはたけはみなちゃのき、あんぺいちんのせいちゃじょう

30.

本島特產烏龍茶、猶も紅茶の實況を

ほんとうとくさんうーろんちゃ、なおもこうちゃのじっきょうを

知らむと想ふ人有らば、必ず潜れ此の門を

しらんとおもうひとあらば、かならずくぐれこのもんを

31.

楊梅壢由り大湖口、紅毛田を過行けば

ようばいれきよりだいここう、こうもうでんをすぎゆけば

早著きにけり新竹に、此處は昔の竹塹埔

はやつきにけりしんちくに、ここはむかしのちくざんぽ

32.

清の雍正元年に、淡水廳を置かれけり

しんのようせいがんねんに、たんすいちょうをおかれけり

城壁の蹟猶殘り、舊剎古廟亦存す

じょうへきのあとなおのこり、きゅうさつこびょうまたそんす

33.

市街の西方約半里、尖筆山の頂に

しがいのせいほうやくはんり、せんぴつざんのいただきに

北白川の宮殿下、御露營在りし遺蹟在り

きたしらかわのきゅうでんか、ごろえいありしいせきあり

34.

新埔は蜜柑の本場にて、北埔に椎茸多く出づ

しんぽはみかんのほんばにて、ほくぽにしいたけおおくいず

香山中港過ぎぬれば、次は造橋・後壟よ

こうざんちゅうこうすぎぬれば、つぎはぞうきょう・こうろうよ

35.

後壟溪の鐵橋を、渡れば此處は苗栗ぞ

こうろうけいのてっきょうを、わたればここはびょうりつぞ

石油の產地出礦坑、之由り四里の奧に在り

せきゆのさんちしゅっこうこう、これよりよりのおくにあり

36.

銅鑼灣・三叉河・後里庄、米の產地と名も高き

どらわん・さんさは・こうりしょう、こめのさんちとなもたかき

葫蘆墩驛の近傍に、製麻會社を見て行かむ

ころとんえきのきんぼうに、せいまがいしゃをみてゆかん

37.

此處迄數里の其の間、地勢嶮岨の其の上に

ここまですうりのそのあいだ、ちせいけんそのそのうえに

大安・大甲・二溪在り、箱根の隧道想遣る

たいあん・たいこう・にけいあり、はこねのトンネルおもいやる

38.

林投編みて作ると言ふ、淡水帽の產地なる

りんとうあみてつくるとゆ、たんすいぼうのさんちなる

大甲・通宵・宛里等、海邊に近き土地に在り

たいこう・つうしょう・えんりなど、うみべにちかきとちにあり

39.

潭仔墘經て其の次は、中部一なる臺中よ

たんしけんへてそのつぎは、ちゅうぶいちなるたいちゅうよ

清朝嘗て此の土地に、臺灣府をば置きたりき

しんちょうかつてこのとちに、たいわんふをばおきたりき

40.

明治四十一年に、初めて成りし鐵道の

めいじよんじゅういちねんに、はじめてなりしてつどうの

全通式を舉げたりし、此處の公園眺め良し

ぜんつうしきをあげたりし、ここのこうえんながめよし

41.

陶器を出す南投へ、輕便鐵道敷れたり

とうきをいだすなんとうへ、けいべんてつどうしかれたり

本島無二の別天地、埔里社は猶も奧と聞く

ほんとうむにのべってんち、ほりしゃはなおもおくときく

42.

流石に猛き霧社蕃も、刈く首の刃打棄てて

さすがにたけきむしゃばんも、かくくびのはうちすてて

厚き恵みを慕ひ來る、蕃產物の交換所

あつきめぐみをしたいくる、ばんさんぶつのこうかんじょ

43.

日月潭の勝景は、蓬萊山も他所ならず

じつげつたんのしょうけいは、ほうらいさんもよそならず

綠の蔭には鳥歌ひ、瑠璃の水には魚躍る

みどりのかげにはとりうたい、るりのみずにはうおおどる

44.

烏日過ぐれば大肚なり、米の集散夥し

うじつすぐればたいとなり、こめのしゅうさんおびただし

此處に河在り大肚溪、水に遊ぶは水牛よ

ここにかわありだいとけい、みずにあそぶはすいぎゅうよ

45.

龍車に向ふ螳螂が、斧を微塵に碎れし

りゅうしゃにむかうとうろうが、おのをみじんにくだかれし

彰化の東八卦山、中臺平野一眺め

しょうかのひがしはっけさん、ちゅうたいへいやひとながめ

46.

加苳腳の其の次に、芭蕉・朱欒の產地なる

かとうきゃくのそのつぎに、バナナ・ザボンのさんちなる

員林過ぐれば社頭なり、田中央經て二八水

いんりんすぐればしゃとうなり、てんちゅうおうへてにはちすい

47.

全島一の大河とて、音に聞こえし濁水溪

ぜんとういちのたいがとて、おとにきこえしだくすいけい

大雨至れば忽ちに、平野變じて海となる

だいういたればたちまちに、へいやへんじてうみとなる

48.

林內過ぎて車窗由り、微かに見る新高の

りんないすぎてしゃそうより、かすかにみゆるにいたかの

山の高きは日本一、明治の帝名を賜ふ

やまのたかきはにほんいち、めいじのみかどなをたもう

49.

雲林今は斗六街、土匪の騷ぎに大方は

うんりんいまはとろくがい、どひのさわぎにおおかたは

兵火の災に罹りにき、他里霧の次は大埔林

へいかのわざにかかりにき、たりむのつぎはたいほりん

50.

打貓の西方三里なる、北港街の媽祖宮は

だみょうのせいほうさんりなる、ほくこうがいのまそきゅうは

四方の信仰厚き事、本島一と聞こえたり

よものしんこうあつきこと、ほんとういちときこえたり

51.

林爽文の騷亂に、時の帝が住民の

りんそうぶんのそうらんに、ときのみかどがじゅうみんの

義勇嘉して付けられし、嘉義の譽は碑に殘る

ぎゆうよみしてつけられし、かぎのほまれはひにのこる

52.

此處に至らば農會の、苗圃に足を運ぶべし

ここにいたらばのうかいの、びょうぽにあしをはこぶべし

小川巡れる丘の上、見渡す限り檳榔子

おがわめぐれるおかのうえ、みわたすかぎりびんろうじ

53.

大森林の阿里山は、之由り數里奧に在り

だいしんりんのありさんは、これよりすうりおくにあり

枝を交ふる木々の蔭、晝猶暗く物凄し

えだをまじうるきぎのかげ、ひるなおくらくものすごし

54.

鐵道線路の右側に、立つる目標見落すな

てつどうせんろのみぎがわに、たつるめじるしみおとすな

北回歸線此の邊り、早熱帶の客となる

きたかいきせんこのあたり、はやねったいのきゃくとなる

55.

之由り南部押並べて、甘蔗の畑打續き

これよりなんぶおしなべて、かんしょのはたけうちつづき

製糖會社其處此處に、煙突高く競立つ

せいとうがいしゃそこここに、えんとつたかくきそいたつ

56.

水堀頭由り後壁寮、新營庄の西方に

すいくつとうよりこうへきりょう、しんえいしょうのせいほうに

鹽水港の市街在り、布袋嘴由りは鹽產す

えんすいこうのしがいあり、ほていしよりはしおさんす

57.

林鳳營經て蕃仔田、灣裡を過ぎて新市街

りんほうえいへてばんしでん、わんりをすぎてしんしがい

大目降は此の東、糖業試驗所設けらる

だいもくこうはこのひがし、とうぎょうしけんじょもうけらる

58.

南部の都臺南は、本島中に古由り

なんぶのみやこたいなんは、ほんとうじゅうにふるくより

開けし地とて人多く、名所舊蹟亦多し

ひらけしちとてひとおおく、めいしょきゅうせきまたおおし

59.

陸軍衛戍病院は、阿蘭陀人の築きたる

りくぐんえいじゅびょういんは、オランダじんのきずきたる

赤崁樓の在りし蹟、三層樓閣聳えたり

せつかんろうのありしあと、さんそうろうかくそびえたり

60.

鄭成功を祀りたる、延平王の祠在り

ていせいこうをまつりたる、えんぺいおうのやしろあり

領臺以後に改めて、開山神社と稱せらる

りょうたいいごにあらためて、かいざんじんじゃとしょうせらる

61.

義烈壯烈母刀自の、大和魂受繼ぎて

ぎれつそうれつははとじの、やまとだましいうけつぎて

社稷の爲に竭したる、君が譽は千代朽ちず

しゃしょくのためにつくしたる、きみがほまれはちよくちず

62.

魁斗山上五妃の墓、寧靖王の妃達

かいとさんじょうごひのはか、ねいせいおうのきさきたち

操守りて此の土地に、果てぬと聞くも憐れなり

みさおまもりてこのとちに、はてぬときくもあわれなり

63.

全臺首學と記したる、大成殿の建物は

ぜんたいしゅがくとしるしたる、たいせいでんのたてものは

公學校に充てられて、今猶咿唔の聲を聞く

こうがっこうにあてられて、いまなおいごのこえをきく

64.

僭して此處に臺灣の、王と名乘りし朱一貴が

せんしてここにたいわんの、おうとなのりししゅいっきが

住みし昔の宮居在り、今法院を此處に置く

すみしむかしのみやいあり、いまほういんをここにおく

65.

漫ろに涙其の祇を、偲祀るも畏しや

そぞろになみだそのかみを、しのびまつるもかしこしや

北白川の宮殿下、此處に身罷り給ひけり

きたしらかわのきゅうでんか、ここにみまかりたまいけり

66.

君の勅を受給ひ、近衛の兵を引連れて

きみのみことをうけたまい、このえのへいをひきつれて

島を平らげ給ひたる、親王の御勇を忘るなよ

しまをたいらげたまいたる、みこのみいさをわするなよ

67.

名は安平と聞こゆれど、港次第に埋もれて

なはあんぴんときこゆれど、みなとしだいにうずもれて

大船岸に繫がれず、風波を凌ぐ便り無し

たいせんきしにつながれず、ふうはをしのぐたよりなし

68.

赤崁城趾の大榕樹、遙沖由り眺めらる

せつかんじょうしのたいようじゅ、はるかおきよりながめらる

海を往く人此の樹をば、目當てと成して往來す

うみをゆくひとこのきをば、めあてとなしておうらいす

69.

之由り海路五十二浬、澎湖島なる媽宮港

これよりかいろこじゅうにり、ぽうことうなるまきゅうこう

港の內は水深く、大艦巨舶泊むべし

みなとのうちはみずふかく、たいかんきょはくとどむべし

70.

更に汽車にて中洲庄、車路墘過ぎて大湖街

さらにきしゃにてちゅうしゅうしょう、しゃろけんすぎてたいこがい

半路竹經て阿公店、橋仔頭由り楠仔坑

はんろちくへてあこうてん、きょうしとうよりなんしこう

71.

東北指して行く時は、蕃薯に名を得し蕃薯寮

とうほくさしてゆくときは、いもになをえしばんしょりょう

樟腦出す甲仙埔、急ぐ旅とて立寄らず

しょうのういだすこうせんぽ、いそぐたびとてたちよらず

72.

舊城過ぎて打狗港、縦貫鐵道此處に盡く

きゅうじょうすぎてたかおこう、じゅうかんてつどうここにつく

商船常に輻輳し、百貨は日々に山を爲す

しょうせんつねにふくそうし、ひゃっかはひびにやまをなす

73.

猶も支線に乘變へて、三塊厝を通過ぎ

なおもしせんにのりかえて、さんかいせきをとおりすぎ

鳳梨出る鳳山に、曹公圳を探るべし

おんらいいづるほうざんに、そうこうしゅうをさぐるべし

74.

後庄越えて九曲堂、一里東に阿緱街

こうしょうこえてきゅうきょくどう、いちりひがしにあこうがい

下淡水の河口に、東港と言ふ港在り

しもたんすいのかわぐちに、とうこうというみなとあり

75.

之由り五里の海上に、微かに見る小琉球

これよりごりのかいじょうに、かすかにみゆるしょうりゅうきゅう

長さは一里幅半里、何れの家も鹿を畜ふ

ながさはいちりはばはんり、いずれのいえもしかをかう

76.

枋寮・枋山・楓港と、海邊の路を辿行く

ぼうりょう・ぼうざん・ふうこうと、うみべのみちをたどりゆく

山は迫りて海を攻め、波は激して岩を嚙む

やまはせまりてうみをせめ、なみはげきしていわをかむ

77.

車城に注ぐ四重溪、其の川上の石門は

しゃじょうにそそぐしじゅうけい、そのかわかみのせきもんは

兩岸巖峙ちて、恰も門の狀をなす

りょうがんいわおそばだちて、あたかももんのさまをなす

78.

明治七年我が軍が、頑強なりし牡丹社を

めいじしちねんわがぐんが、がんきょうなりしぼたんしゃを

劇しく攻めし所なり、途に記念の碑を探れ

はげしくせめしところなり、みちにきねんのひをさぐれ

79.

皇澤日々に霑ひて、學びの庭に蕃童が

こうたくひびにうるおいて、まなびのにわにばんどうが

我劣らじと集來て、御國言葉の花ぞ咲く

われおとらじとつどいきて、みくにことばのはなぞさく

80.

氣候は何時も暖かに、春の如しと聞こへたる

きこうはいつもあたたかに、はるのごとしときこえたる

恆春街に至りなば、求めて來れ蝴蝶蘭

こうしゅんがいにいたりなば、もとめてきたれこちょうらん

81.

此處にて西部果てぬれば、海路東岸探らむと

ここにてせいぶはてぬれば、かいろとうがんさぐらんと

賴りを待ちて海濱の、大板轆を船出せり

たよりをまちてかいひんの、だいはんろくをふなでせり

82.

巴士海峽隔てたる、呂宋と遙か相向かふ

バシーかいきょうへだてたる、ルソンとはるかあいむこう

最南端の鵝鑾鼻に、大燈臺を設けたり

さいなんたんのがらんびに、だいとうだいをもうけたり

83.

鼻を廻りて北方に、船路を變へて進行く

はなをまわりてほくほうに、ふなじをかえてすすみゆく

海上遠く紅頭嶼、雲か山かと薄霞む

かいじょうとおくこうとうしょう、くもかやまかとうすがすむ

84.

島の巡りは九里餘、太古の樣を見る如き

しまのめぐりはくりあまり、たいこのさまをみるごとき

いと哀れなる蠻民が、二千計りも住むと聞く

いとあわれなるばんみんが、にせんばかりもすむときく

85.

軈て卑南に寄港せり、臺東一帶未開の地

やがてびなんにきこうせり、たいとういったいみかいのち

天與の遺利は其の儘に、人の來りて取るを待つ

 てんよのいりはそのままに、ひとのきたりてとるをまつ

86.

黒潮に沿ひ進みつつ、次に立寄る花蓮港

くろしおにそいすすみつつ、つぎにたちよるかれんこう

移民の計畫歩を進め、開拓事業興りたり

いみんのけいかくほをすすめ、かいたくじぎょうおこりたり

87.

之由り沿岸二十餘里、幾千尺の斷崖が

これよりえんがんにじゅうより、いくせんじゃくのだんがいが

海に迫りて聳立ち、船を寄すべき所無し

うみにせまりてそびえたち、ふねをよすべきところなし

88.

蘇澳の港に船を棄て、宜蘭の平野を橫切りて

そおうのみなとにふねをすて、ぎらんのへいやをよこぎりて

其より山路分入らば、深坑地方に至るべし

それよりさんろわけいらば、しんこうちほうにいたるべし

89.

濱邊の路を越行けば、三貂角は右に出づ

はまべのみちをこえゆけば、さんしょうかくはみぎにいづ

領臺役真先に、近衛の軍の上陸地

りょうたいえきまっさきに、このえのぐんのじょうりくち

90.

之由り元へ歸る路、黃金掘出す牡丹坑

これよりもとへかえるみち、こがねほりだすぼたんこう

猶も瑞芳・金瓜石、寶の山は連れり

なおもずいほう・きんかせき、たからのやまはつらなれり

寶の山は連れり

たからのやまはつらなれり